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集団を精神的にまとめるものは「新聞」

今日はブログ紹介。静岡大学でヘーゲル哲学を研究されている牧野先生のブログです。

from: 教育の広場、第311号、私の教養教育

牧野氏のこの記事は少し長いけれど、読み応えのある内容だったので紹介させていただきました。

情報元:kiwofusiのTwit
全文はリンク先で読んでいただくとして、僕が一番心に残った部分はこの箇所。

 技術的な特徴から入りますと、私の担当した授業はドイツ語と哲学ですが、今ではどんな授業でも、公民館での哲学講座でも、必ず教科通信を出します。これが第1の特徴です。

 思うに、集団を精神的にまとめるものは「新聞」なのです。学校ではそれは学級通信であり、教科通信なのです。


これ、おそらくどんな集団でもいえること。家庭でも、会社でも、サークルでも。

通常では、生徒一人ひとりの理解の度合いは、生徒自身と、教師にしかわからない。
程度のまちまちな一対一のコミュニケーションが生徒の数だけ存在している状態。

集団の中心にいる人(ここでは教師)には、全体の志向がなんとなくつかめるかもしれない。
でも個々の参加者(生徒)には、自分以外の皆がどう感じているのかはわからない。
「新聞」を使って理解の度合いを共有することによって、お互いがお互いの状況を確認できる。
多対多のコミュニケーションが可能になる。

問題は、毎回の記事を誰が書くか。もしくは、どうやって記事を集めるか。

 材料はどうするのかと言いますと、哲学の授業の場合は毎回、最後の30分間でレポートを書いてもらいますから、それをまとめます。ドイツ語の場合は、月に1回くらいのペースで「レポート」(以前は「アンケート」と呼んでいたのですが、誤解があるので改名しました)を集めています。


これなら、記事に採用された学生のモチベーションアップにもつながる。

 この(引用者注:刈部直氏の)ゼミに集まっている学生くらいなると、学生に交代で編集をさせて出すといいと思います。もちろん教師もその順番に入ってたまには編集するといいと思います。


ここまで書いて、中学・高校の国語の授業内で何度かこのような試みがあったことを思い出した。
ただ、それを順番にとっておくといったことはしていなかった。考えもしなかった。
おそらく「月○回」といったように継続的なものではなかったのからではないか。
中学・高校の教師の激務は想像に難くないが、残念ではある。
一年で12回たまれば一冊の本になるようなものが作れれば、どんな集団であれ何かが変わると思う。


牧野氏のホームページは哲学の部屋です。
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